デザイナーとしてのエミリオ・プッチの歴史は、1947年、ハーパーズ・バザー誌に最初の作品である流線形のスキーウェアを発表したことにより始まりました
当時女性のファッションは、重いパッドやコルセットなどで体を締め付けるものが主流。
そんな中、彼が提案したのは現代のスポーツウェアのようなストレッチ素材で動きやすくミニマルなデザイン。
さらに、誰も見たことも無いようなカラフルな色彩だったそうです。このスキーウェアが人気となり、スポーツウェアのデザインを依頼されます。これがさらに大ヒット。
デザイナーとしての人気が一気に高まり、エミリオ・プッチ氏はファッションデザイナーの仲間入りをしました。エミリオ・プッチと聞いて、連想されるのは、やはり「プッチ柄」です。万華鏡からヒントを得たカラフルで幾何学的なプリント柄。
これはまったく新しいデザインとして、マリリン・モンロー、エリザベス・テーラーなどアメリカ中の著名人に支持され、ファッション界の革命児となったエミリオプッチは「プリントの王子」と呼ばれるようになりました。
また、今ではとても身近な素材ですが、1960年代までには当時としては非常に革命的であったシルクジャージーやコットンジャージーなどの化学合成素材やハイテクストレッチを開発し技能的にもファッションの先駆者となったのです。
さらにその活躍は、ファッション業界だけには収まらず
カーペットやカーテンなどのインテリア製品、アメリカの航空会社の制服をデザインしたりリンカーンコンチネンタル車の内装のデザイン、アポロ15号のロゴデザインまでもを手がけました。驚きなのは、こうしたデザインをイタリアの政治家としての活動の傍ら行っていたというところです。エミリオプッチの死後、彼のブランドのデザインは娘のラウドミアプッチが引き継ぎましたが
2000年にはモエ・ヘネシー・ルイ・ヴィトン グループの傘下に入りました。デザイナーも経営者も変わってしまった今でも彼のブランドは継続して彼の作り出したオリジナルパターンを読み解きそれを崩そうとしない姿勢で続いています。
♪今回のコラム担当は スタッフN です♪