先週ご来店いただきましたお客様。センスのいいかたです。
何度かお会いしていますが、いつもユニークなものを選んで素敵に組み合わせてお召しになられてる。
今流行っているものをファッション雑誌から探してきました的なものは一切ないのに、これまでに見たことがあるテイストは微塵もなく、ブランドが一目でわかるようなものでもなく頑張ってます!の匂いもさせない。何系というカテゴリも括れない。
どこからかヒントをもらってきたり、何かの真似ではない。似合うものをオリジナルで合わせていらっしゃっているよう。そして自信をもって身につけていらっしゃる。そんな印象
センスの良さ。
これはどこで身につけるものなのでしょうか。
産まれた時、既に備わってきていたのでしょうか。
成長する過程で磨かれたものなのでしょうか。
センスも遺伝?
どうやら才能、体格、病気など遺伝すると考えられているものはそれぞれの真偽は既に結論が出ているようで、例えば音楽に関しては遺伝によるものが相当高く所説あるものの90%近くにもなるようで、更にそのうちの音感、作曲、演奏など細分化されて遺伝による影響を数値化されているときいた。
センスも遺伝によるものなのでしょうか?
センスがいい
そうなりたいと長らく願っている私は 遺伝なら諦めがつくというもの。
遺伝で希望が持てない場合は、なんとかして後天的にそなえることができるのか?もしできるならどんな努力をしたらいいのか。と考えてきました。
センスいいなぁと思うかたに、失礼ながらこれまでに
「子供の頃からおしゃれでしたか?」
「ご家族やご兄弟も同様におしゃれですか?」
など不審に思われかねない質問を重ねてきました。
ご自身から「えぇ・・私も含めて家族のほぼ全員センスいいですね」
のような回答はありませんでしたが、やや遠慮がちに「割と家族みなこだわりが強いかもしれませんね」などご家族みな洗練されているご様子の場合もありましたが、
「私だけちょっと違うんです。」とか
「お爺さんが大層おしゃれだったようです。」とか
など遺伝的な要素もありそうですが、そうとも言い切れない。
「主人に似てしまったので子供たちは全然おしゃれに興味ないのです」といった
結婚でセンスの良い遺伝子が薄まってしまった説もあったり
私のリサーチでは遺伝だから諦めるしかない。という結論に至らずにいます。
センスの良い人の特徴
ネットでセンスの良い人とは?と検索したら
「センスの良い人は自分に何が似合うかを知っている人」と書いてあった。
そうよ。そうよ。そうでしょう。
センスがいいのだから。
自分に似合うものをよく知っているでしょう。
でもそれはセンスの良し。悪し。なのだろうか?
センスが良いのですから、それはセンスの良いことの成果であってセンスの良い人の定義ではない。
似合うことを知っていることは経験やデータの記憶と蓄積でAIでもできることではないか?
センスってきっとAIにはないもののはず。
似合う(〇か×か)かどうかをジャッジしてAIに蓄積させる
それを判断する感覚がセンスなのでは?
その正しくジャッジできる能力が欲しいのです。
あっ それではAIが情報を蓄積させるようにファッション雑誌やおしゃれ上手なかたのインスタをフォローして毎日、毎日コーディネートや生活の様子を繰り返し見ていれば磨かれてくるような気がしてきました。
センスの良い人に共通すること
センスが良いと思う人を何人か頭に浮かべてその人達に共通することを探してみることにしました。
著名人にもたくさんセンスがいいと感じる人はいても、そのかたのリアルな様子を知ることができないので、実体験できる私の周りのごく狭い範囲で観察してみました。笑
感じた共通点はモノを見たときや何かのことがらに対して私にはほぼ同じに見えることでも、センスの良い人は小さな違いを感じとっているように思います。
具体的な例として
ボーダーのわずかな幅の違い。パンツ丈の2センチの違い。ニットの糸の太さ。
大きく違えば説明なくしても私も気付きますが、少しの違いは指摘されないと、その違いに気づきにくいのです。
万一気づいたとしてもそれが違うことでどのような影響を与えているのかを感じ取れない。
ボーダーの幅がやや太くなってパンツの丈が少し短くなった。
ニットの糸の太さが気持ち太くなるだけで微妙なカジュアル感が出てしまう。
説明されると「確かにそうね」となります。
わかりやすい例を挙げてみましたが、私には気づきづらい小さな違いを見逃がしていないのです。
↑見逃す。と表現しましたが それは私目線で、センスの良い彼女たちにとっては「えっ?そこ気づかない?どうして?」といった感覚なのでしょう。
素敵に見えるコーディネートでも「ブラウスのドットがもう少し小さいほうが良かったよね」とか「パンツの生地がちょっと重いよね」とか
なんだか細かくて面倒な人のようですが(笑)
それは内面的な感覚のことでおそらく無意識に作用しているものなのだと思います。
全てのことにそれが働いているかというと、そのようなことはなく
感覚はあっても必要のないところはミュートできていて、周りの人に強要するかも別の要因のように思います。(笑)
センスのよさに分野がある?
あらゆることに関してセンスのいい人もいるけれど、もしかしたら分野に分かれているのではないかと感じます。
視覚的な部分のセンスの良さであれば、
ファッション、絵を描くこと、書く文字のバランス、インテリア、お料理の盛り付け(味ではない)にも繋がっていて視覚的なものはどれも秀でているように思います。
聴覚的なものであれば物音、音感、発音の聞き分けができて語学の習得の容易さにも繋がってきていると感じ、
味覚的なものは、単純な美味しい、不味いよりも繊細な味の違い。その記憶から組み合わせるとこんな味になるからきっと美味しくなるはずと組み合わせの良い食材を発想できたりします。
対人関係の行動や会話での言葉の選びや、相槌、間の取り方、コミュニケーション能力的なセンスの良さ。
お付き合い上手で、気配りができる。それが過不足なく絶妙なバランスでできること。突然にお家へお伺いしても気の利いた手土産が用意されていたり、それが相手に負担を感じさせない。そんなお人柄に通ずるセンスの良さもあるようにも感じました。
五感ごとに秀でているものが分かれている?
そもそもセンスって?どういうこと?
英語の「sense」をカタカナにしたもの。
英語では 感覚 のような意味合いで使われているので日本人の「センスがない」という使われ方は「えっ?感覚がないの?」となるらしい。
センス。
(コトバンクより)人それぞれの内面にある感覚的なもので、感じ方、理解の仕方、あるいは表現の仕方に現われ出るもの。
特に、ちょっとした行為や微妙な事柄についていう。
内面にある感覚的なもの…が感じ方や表現の仕方に表れ出るもの。
ちょっとした。微妙な事柄。
なるほど、少し府に落ちた気がいたします。
センスがいい。
人それぞれの感じかた とすると
もしかしたら絶対的な良し悪しの評価などないのかもしれない。
共感 = 共通の感性
「素敵」と誰かと共に感じるもの。
「他の人が素敵と評価してもその良さがわからない」と感じるものもある。
「素敵」と自分が思っても
そう思わない人もいるだろうということは、共感するものの位置は自分の居る位置からそう遠くないもので
大層遠くにあるものは共感を得れないものなのかもしれない。
会議で満場一致のプロジェクトは否決するという業界のパイオニア的会社のルール
多くの人に高く評価されることは「つまらないもの」という評価と同じという芸術家
そんなことを聞いたことがあります。
「センスがいい」と感じるのはそう感じる自分の感覚や好みによるもので
確かに私が「あのかたはセンスがいい」と思っていても
そう思わない人もいることでしょう。
自分の感覚に近いところで、微調節ができて理想の形を作り上げることをできる人を「センスがいい」と感じているのかもしれません。
その感覚の精度が高く微調節をできるかどうかは
対象となるものを見たときに、それがどのような要素で構成されているか、どのような影響を与えているかを見極め咀嚼することができる。その良し悪し、取捨の結果判断が早くて的確。
センスは生まれながらに持つ部分も多いかもしれませんが興味のあることを楽しみながらよく見て、たくさん試して、チェックする。を繰り返していくことで精度が上がっていくように思います。
ファッションでもたくさんのコーディネートを見たりウィンドーショッピングをかさね、試着や購入して失敗も成功も経験していくとで磨かれそうです。
今日も2022年プレフォールコレクションのニットを買ってみました。
所持経験のないカラーはボルドー。「ネイビーのブラウスに合わせてみて。似合うと思いますよー」というセブンヨークファミリアスタッフのアドバイスでチャレンジしてみます。私に似合うかどうか初挑戦のカラーですが、いろいろコーディネートを試してみて似合わない場合はお買取りしてもらうことにします。笑