イギリスのダイアナ妃の好んだバックとして 「レディディオール」と名づけられたカナージュキュィールは1955年にフランスを訪れたダイアナ妃にシラク大統領夫人がプレゼントしたことから始まりました。
そのバックを一目で気に入ったダイアナ妃は翌日モンテーニュのディオールを訪れ色違いを買い求めました。
すずらんの香りの香水「ミスディオール」 乗馬の鞍をモチーフにした「サドルバック」、乗馬のジョッキーからインスパイアした「トロッター」・・・数々の名作を生んできたディオールはパリファッション界でもスターダムに君臨したファッションブランドです。
その歴史は経済状況の波に翻弄されながら現在はモエ・へネシー・ルイヴィトングループの傘下になっています。傘下という表現は適切ではないかもしれません。LVMHグループの総帥ベルナール・アルノーが1984年より持っていたブランドだからです。
ディオールは1946 年リュシアン・ルロンのメゾンで働くクリスチャン・ディオール(当時41 歳)の才能に惚れ込んだ当時フランスの繊維王と呼ばれたマルセル・ブサックが後押ししてパリ8 区モンテーニュ通り30 番地に誕生しました。
翌年の春夏よりパリコレに参加。「8ライン」「バーティカルライン」「オーバルライン」など次々に話題を提供し一躍パリファッション界の頂点に上り詰めるようになります。1948 年3 月4 日,パルファン・クリスチャン ディオール社を設立。
アメリカをはじめとして華々しくライセンス展開をし輸出国は全世界112カ国を数えパリプレタポルテのライセンスビジネスモデルとなりました。
1957年にクリスチャンディオール52歳の若さで心臓麻痺にて死去するとその後イヴサンローランがデザイナーを務めます。1960年イヴサンローランが出兵することになり、マルク・ボアンが主任デザイナーとして留守を守る形になりますが、出兵から戻ったイヴサンローランは独自のブランドを立ち上げることになりディオールには戻ってきませんでした。
景気に陰りが見え始めると 香水、化粧品部門であるパルファン・クリスチャン・ディオールを1968年にモエ・へネシー社に売却。親会社であるマルセル・ブサック・グループが1978年に倒産すると流通大手のアガッシュ=ウィログループ傘下となります。
1984 年,当時建設業、不動産業を営むベルナール・アルノー(現LVMHグループ会長)がディオールの親会社である経営危機にあった国営繊維企業ブサック・サンワレールを買収したことによりベルナール・アルノーの手中となっていきました。1989 年5 月ジャン・フランコ・フェレをデザイナーとして迎えます。
1990年 LVMHとの合併により これまで同じブランドでありながらモエ・へネシーにあったパルファン・クリスチャン・ディオールアルノーの持っていたディオールは同じグループになります。